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2011年5月18日水曜日

「ブラック・スワン」を観た

見事オスカーに輝いたナタリー・ポートマン主演の「ブラック・スワン」を観てきました。
実際に鑑賞するまではどういうジャンルか掴めないところもあったのですが、
観終えた感じ、これはやはりサイコ・スリラー映画ではないかと思います。
純粋なバレエ映画としての躍動感などを期待すると物足りない部分があるでしょう。
露出度は案外少ないものの、それでも結構セクシャルなシーンが多めなので、
バイオレントな演出を抜きにしても、ちょっと注意が必要かもです。。

見どころは何といっても、清く厳しく育てられ、成人してもなお母ひとり子ひとりの家庭で、
抑圧された家庭環境にいるニナ(ナタリー・ポートマン)の葛藤と、
その精神の歪みが生み出す、日常の中にボディーブローのように差し挟まれる妄想の数々。

ライバルであり怪うい欲望さえはらんだリリー(ミラ・キュニス)との関係も、
彼女のダークサイドを増幅させているに違いなく、ジキルとハイドよろしく、
次第に黒鳥の演技の中に自らの深淵を投影させていくようになるニナ。
悪化する彼女の背中の傷や爪への執着など、じわじわと異常性が口を広げていく不気味さは、
まさに漆黒の翼を広げるブラック・スワンの羽のようでもあります。

ナタリー・ポートマンは、目を真っ赤にして狂気の世界を演じていましたが、それほど気味の悪さはなく、
踊り子として表現力を極限まで追求する姿の持つ悲壮感からにじむ切なさが上回っていたような気がします。
過剰なまでの潔癖さと大胆さの狭間で精神の振幅に苦悩する、しなやかで繊細さの求められる演技を、
身体を張ってやりきっているのが実に見事、という感じでした。

ちなみにダンスの場面は顔だけナタリーに差し替えられたプロの演技らしいですが、
それを差し引いてもかなり絞った身体には役作りに対する執念が感じられます。

観ていて怖いと思ったのはむしろ脇役の二人、母親役のバーバラ・ハーシーや、
ベス役のウィノナ・ライダー(実感こもってそうで余計に背筋が寒くなる…)の方で、
特に表情で凄みや怨念にも近い情念のうねりを体現していたように思います。
また、ヴァンサン・カッセルのトマスはただ単に女に手が早いだけでなく、
きっちり見るべきところは見ているプロフェッショナルな感じがうまい具合に出てました。
そして背中のタトゥー(お前バレリーナだろ…!)も印象的なリリー役のミラ・キュニス。
初めて観た気がするけど、いかにも遊んでる雰囲気にしろ、レズシーンにしろ、インパクトありました。

演出的には「痛い」シーンの印象も強い映画でしたが、鏡の中のニナが勝手に動いているシーンが随所に出てきたり、
明かりの消えた真っ暗な部屋で、いきなり母親があらぬ所から現れてみたり、
妄想レズシーンでリリーの顔が一瞬ニナ自身の顔にすり変わったりといった、
ここ最近では「シャッター・アイランド」でも味わわされたサイコ的な場面にもいちいちビクっとさせられました。
その中でも圧巻はやはりクライマックスの黒鳥のダンスシーンですが。。あの場面だけでも観る価値アリです。

にしても、劇中、どこまでがニナの世界で、どこからが現実の出来事かは最後までわからないようになってました。
ラストで彼女が浮かべる、息も絶え絶えながらも安らぎに満ちた恍惚の表情は、
自らの完璧なバレエに対する充実感からなのか、呪縛から解放された安堵感からなのか…?
ニナの劇的なパフォーマンスと表裏一体となった光と闇のおどろおどろしい交錯は、
黒いタイトルバックで始まり白を背景としたエンドロールで締めるこの映画に、
何とも言えない異様なカタルシスを与えているのは確かで、話題性も含めて是非観て欲しい一本だと思います。

【公式】映画『ブラック・スワン』公式サイト
【参考】ブラック・スワン - Wikipedia

2011年5月4日水曜日

「トゥルー・グリット」を観た

コーエン兄弟の最新作「トゥルー・グリット」を観てきました。
タランティーノが2010年のベストに挙げてもいるというこの映画…
それも実際に観れば納得、すっかりその世界に惹きこまれます。
今年のアカデミー賞では多数の部門にノミネートこそされながら無冠だったものの、
だれることのない密度の濃い内容と、しみじみとした余韻に浸れる良作です。

「クレイジー・ハート」でも感じましたが、ジェフ・ブリッジスはホント、
凄腕の呑んだくれ親父を演じると実にピッタリはまりますね。
アクの強い口調に法廷でののらくらした態度、マティやラブーフとの会話、
ひとたび銃撃戦となれば瞬時に鋭さを増す隻眼の凄み…さすが貫禄あります。

マティ役のヘイリー・スタインフェルドはどこかしら蒼井優を思い起こさせる雰囲気が。
正直美人ではありませんが(劇中でギャングに「ブサイクな娘」とまで呼ばれてたのは気の毒…)、
彼女でなければマティのクールな立ち居振る舞いは出せなかっただろうなと思います。

テキサス・レンジャーとして虚勢を張ってるところもありつつ、人の良さを時折見せるラブーフ。
ヒゲのマット・デイモンは初めて見たかも知れない…こういう役もいけるんだと感心。
ルースターとのやり取りは当人からすれば真剣そのものだろうが、
どこか気の抜けたような、おかしみが漂っているのもいい。
決闘シーンで彼がカービン銃を射程を上回る距離で命中させる場面はなかなかの名シーン。

そしてギャングの親玉・ネッド役のバリー・ペッパーも個性が迸ってます。
それはもう、仇役であるチェイニーの存在がすっかり霞んでしまうほどで、
何しろ羊の毛皮つきのジーンズ姿がキマってて良いです。
特にマティの顔を足蹴にしながら、ルースターに向かって唾をまき散らして怒鳴りたてる姿は、
正に野卑そのもの、最期の倒れ方までカッコ良く、ワイルド・ガンマンの風合い。良い。

それにしても、ちょっとトラブるとすぐ訴訟に言及するマティですが、
この辺りは開拓時代の過渡期を表しているのでしょうか。
また、気になったのは、ルースターがインディアンの子供らを執拗に蹴り飛ばす場面。
そういえば冒頭での罪人の絞首刑シーンにおいても、白人の囚人には辞世?の言葉を認めていたが、
インディアンには何も喋らせず処刑…という扱いなんかを見ても、
あれは彼が住むフォートスミス(Wikipedia)の土地柄との兼ね合いからかも?

満点の星空の下、マティを助けるために必死に馬を走らせるルースターの姿は感動的。
それから25年の時が過ぎ、エンディングで登場するワイルド・ウエスト・ショーの看板、テント。
一つの時代の終わりを示唆していることもあり、観終えた後はほのかな郷愁が残ります。
ルースターの心に応えるように、独身を貫いたマティ。
彼女も彼と同じ、トゥルー・グリット(真の勇気を持つ者)だった。

日本人としては、どうしてもアメリカの歴史に疎いもので、
本作のみならず、この時代そのものの細かなニュアンスがピンと来なかったりしますが、
こちらで町山智浩さんの解説を見ておくと、時代背景や人物像をより具体的に掴めるのでおすすめ。

解説の中にはチェイニーの捉え方など、若干映画の中での出来事と食い違った話もありますが、
ルースターが過去に南軍ゲリラとして奴隷解放派の民間人の虐殺に関係していた事や、
マティの「無償なのは神の慈悲だけ」というプロローグの言葉、
エンディングで流れる「Leaning on the Everlasting Arms」(YouTube)が使用されている意図など、
さまざまな部分から映画全体を俯瞰するテーマを頭の隅におきつつ鑑賞することができて、
より深くこの作品を楽しめると思います。

最後に…ユダヤ系アメリカ人であるコーエン兄弟がこの映画において、
報復を決して肯定しない、という姿勢をかなり明確にしているところは印象的です。
オサマ・ビンラディン(ちなみに彼にアメリカがつけたコードネームは「ジェロニモ」)が死んだ今だけに、
またさらに考えさせられるものがありました。

【公式】映画『トゥルー・グリット』オフィシャルサイト
【参考】トゥルー・グリット - Wikipedia

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